小川氏庭園

環翠園とは

About The Ogawas Garden Kansuien

小川家の歴史

history

鳥取県倉吉市河原町の小川家は、屋号を中江(恵)屋といい、三代の富三郎[1804-1891]は酒造、綿商売で財を成し、四代の貞四郎[1845-1915]は、銘酒「久米川」販売のとともに、明治26年小川製糸場を設け、 県下有数の生産額を誇りました。

六代 貞一[1882-1943]は、明治43年小川合名会社を創立し、大正4年には酒銘を 打吹正宗(うつぶきまさむね)」に改め、倉吉魚菜株式会社、倉吉醤油株式会社(現ヒシクラ株式会社)を興し、県下の金融・産業組合関係の様々な要職に就き、地方財界の重鎮でありました。

また、公職として県会議員、貴族院議員を務めるなど政治家としても活躍。教育振興にも熱心で、女子教育のため県立倉吉高女、県女子師範学校の設立に貢献したほか、有限責任利用組合厚生病院設立委員長として、昭和5年の総合病院開院の中心となりました。産業組合による病院としては全国2番目である。

貞一は、大正中期頃には、謡、喜多流を学び、晩年、茶の湯を日本画家 岡島陽城に志野流の手ほどきを受けました。主屋の南側に「環翠園」を造営したのはこの頃のことと思われる。

七代 貞寿[1910-1980]は、小川合名会社代表社員、ヒシクラ株式会社社長として社運を興し、倉吉商工会議所会頭として地域商工業の発展に尽くしました。

六代 小川 貞一氏

小川氏庭園 環翠園

about Kansuien

小川氏庭園は、本通りに面した主屋の「前庭」、主屋と土蔵の間の「中庭」、鉢屋川沿いの別区画の「環翠園」から構成されます。(前庭と中庭は、現在未公開。)

環翠園は、東西約32m南北約40mの規模をもつ池泉回遊式庭園です。敷地の東辺中央には端正な庭門、南西側中央には鑑賞の中心点として茶亭「南山荘」を置き、その正面に広がる池の周囲三方には築山が築かれ、それぞれの最高地点には南の腰掛待合、五重塔、北の腰掛待合が配されます。南の腰掛待合と五重塔の間には、かつて草庵風の茶亭「洗心亭」が存在しましたが、現在は建物基礎のみが残っています。

「南山荘」は江戸時代後期の松江藩主であった松平治郷(不昧)公[1751-1818]自身が設計したとされる有澤山荘向月亭と菅田庵(かんでんあん)(国重要文化財)の写しで、茶会記によると「幽篁亭」と「楽水庵」と名づけられ、楽水庵の号は、大徳寺傳衣老師筆の横物に依るものです。

池水は、鉢屋川の流れを直接引水するもので、茶亭「南山荘」正面に広がる池、亀島を廻して再び川に戻しています。池の周囲を回遊する園路には、石段、飛石、カラフルな小砂利の洗い出し舗装などを用い、各所に滝組・井戸・小池等の流れを配するなど創造性豊かな技巧を駆使しています。

また、30基近い石灯籠や石塔、小鴨川橋の欄干や大坂の道標等といった歴史資料、さらにはモニュメンタルな赤煉瓦の煙突など随所に組み入みつつ、露地を巧妙に構築している点は本庭園の特長でもあります。園内のみならず、池の北側から南山荘の背後に望む水道山の中腹には十三重塔が立てられており、借景にアクセントを添えています。花木も主屋の庭とは異なり大木を周囲に配したものとなっており、藤棚をはじめ花木の種類も多く(約400本)、四季を彩る植栽となっています。

小川家主屋

茶亭 南山荘

Tea room Nanzanso

環翠園は小川貞一の別邸で、作庭は神戸の庭師、巽武之助です。
園内の茶亭は、昭和5年(1930年)頃、三朝温泉の岩崎旅館の隣の秋山忠直(1858-1930:鳥取県議会議員・第八十二銀行頭取)氏の茶室を譲り受けて移築したもので、松江市の有澤山荘(向月亭・菅田庵(かんでんあん))の写しであります。大正から昭和初期にかけて豪華な茶会が開かれ、県下には見られない本懐石などが行われたと伝わっています。

昭和20~22年、環翠園の茶亭には、大阪の丹青界の大家 菅楯彦 が住まい、その頃描いたものに、谷崎潤一郎の新刊本『細雪』の装丁の絵があります。また、七代 小川貞寿は昭和28年には日本民芸協会のバーナード・リーチをここに歓待しています。

このように小川家は、県内屈指の資産家として倉吉の近代化の基盤を作った家系であり、文化芸術向上にも大きな影響を与えました。

八代 小川貞子[1944-2016]は、「当家の歴史や文化・建造物・庭園を後世に伝え、地域の振興に役立てたい」との強い思いから、平成27年4月に「一般財団法人小川記念館財団」を設立し、環翠園・茶亭「南山荘」の本格的修復に着手した。

実妹の九代 齋藤信子は、財団代表理事として修復事業を継承し今日に至ります。

茶亭 南山荘(昭和初期)

庭師 巽武之助

Gardener Takenosuke Tatsumi

巽武之助(たつみ たけのすけ)は、神戸に生まれ、京都で作庭を学び、関西で仕事をして芦屋の邸宅の庭も数多く手掛けたといわれています。「流れ」と「回遊」の景趣を得意とする作風は鳥取でも高く評価されており、巽の作庭と伝わるものが県下に数例伝わっています。

小川氏庭園は、巽武之助の代表作であり、個人の近代庭園として山陰屈指のものであります。倉吉の商家の近代庭園を代表する存在として、当地方の作庭技術・茶道等に与えた影響は大きく、芸術文化向上にも寄与しました。